袋井三山
2007年10月9日 法多山尊永寺(真言宗)
法多山尊永寺(はったさん そんえいじ)は、静岡県袋井市にある高野山真言宗別格本山の寺院。一般に法多山と通称され、寺号の「尊永寺」よりも「法多山」の名で広く知られている。遠州三山の1つ。本尊は聖観音(正観世音菩薩、厄除観世音)。
厄除け観音として知られ、厄除だんごが名物となっている。
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医王山薬王院油山寺 (真言宗)
油山寺(ゆさんじ)は、静岡県袋井市村松にある真言宗智山派の寺院。遠州三山の1つ。山号は医王山。詳しくは医王山薬王院油山寺と称する。本尊は薬師如来。紅葉の名所として知られる。
寺伝によれば大宝元年(701年)に行基が創建し、石油が湧出した所から「油山寺」の名が付いたという。その後天平勝宝元年(749年) 孝謙天皇が眼病平癒を願い、当寺の「るりの滝」の水で眼を洗浄した所、全快したので勅願寺に定めたとされる。以来、特に目の守護、眼病平癒のお寺として信仰を集める。また、一山の守護神軍善坊大権現は足腰の神として古来より東海道を往来する旅人の信仰を集める。
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萬松山可睡斎 (曹洞宗)
可睡斎(かすいさい)は、静岡県袋井市久能にある室町時代初期に開山された曹洞宗の寺院。山号は萬松山。江戸時代には「東海大僧録」として三河国・遠江国・駿河国・伊豆国の曹洞宗寺院を支配下に収め、関三刹と同等の権威を持った。遠州三山の1つ
起源と歴史
徳川家康が、幼い頃武田信玄の軍から逃れ父と共に匿われた礼に訪れた際、席上で居眠りをする仙麟等膳和尚(第11代)を見た家康は「和尚我を見ること愛児の如し。故に安心して眠る。われその親密の情を喜ぶ、和尚 、眠るべし」と言い、以来和尚が「可睡和尚」と呼ばれたことから、いつしか本来東陽軒であった寺の名も可睡斎となった。家康が父と共に隠れたとされる洞窟は六の字穴として今も残っている。
1873年(明治6年)、秋葉山(あきはさん、静岡県浜松市)の神仏分離に伴い三尺坊大権現(さんしゃくぼうだいごんげん)が遷座され火防災除の寺ともなった(由来は秋葉山本宮秋葉神社の項を参照)。また春先のユリや初夏の牡丹が美しい寺、元タレントのポール牧が修行した修行寺としても有名。
(ウィキペディアより転載)
です。
たまには、お寺周りでもしてみますかね。
法多山尊永寺(はったさん そんえいじ)は、静岡県袋井市にある高野山真言宗別格本山の寺院。一般に法多山と通称され、寺号の「尊永寺」よりも「法多山」の名で広く知られている。遠州三山の1つ。本尊は聖観音(正観世音菩薩、厄除観世音)。
厄除け観音として知られ、厄除だんごが名物となっている。
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医王山薬王院油山寺 (真言宗)
油山寺(ゆさんじ)は、静岡県袋井市村松にある真言宗智山派の寺院。遠州三山の1つ。山号は医王山。詳しくは医王山薬王院油山寺と称する。本尊は薬師如来。紅葉の名所として知られる。
寺伝によれば大宝元年(701年)に行基が創建し、石油が湧出した所から「油山寺」の名が付いたという。その後天平勝宝元年(749年) 孝謙天皇が眼病平癒を願い、当寺の「るりの滝」の水で眼を洗浄した所、全快したので勅願寺に定めたとされる。以来、特に目の守護、眼病平癒のお寺として信仰を集める。また、一山の守護神軍善坊大権現は足腰の神として古来より東海道を往来する旅人の信仰を集める。
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萬松山可睡斎 (曹洞宗)
可睡斎(かすいさい)は、静岡県袋井市久能にある室町時代初期に開山された曹洞宗の寺院。山号は萬松山。江戸時代には「東海大僧録」として三河国・遠江国・駿河国・伊豆国の曹洞宗寺院を支配下に収め、関三刹と同等の権威を持った。遠州三山の1つ
起源と歴史
徳川家康が、幼い頃武田信玄の軍から逃れ父と共に匿われた礼に訪れた際、席上で居眠りをする仙麟等膳和尚(第11代)を見た家康は「和尚我を見ること愛児の如し。故に安心して眠る。われその親密の情を喜ぶ、和尚 、眠るべし」と言い、以来和尚が「可睡和尚」と呼ばれたことから、いつしか本来東陽軒であった寺の名も可睡斎となった。家康が父と共に隠れたとされる洞窟は六の字穴として今も残っている。
1873年(明治6年)、秋葉山(あきはさん、静岡県浜松市)の神仏分離に伴い三尺坊大権現(さんしゃくぼうだいごんげん)が遷座され火防災除の寺ともなった(由来は秋葉山本宮秋葉神社の項を参照)。また春先のユリや初夏の牡丹が美しい寺、元タレントのポール牧が修行した修行寺としても有名。
(ウィキペディアより転載)
です。
たまには、お寺周りでもしてみますかね。
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